ヤマニンゼファー号が死亡。

JRAの発表によると、5/15の朝、ヤマニンゼファー号が老衰のため死亡した。本稿では追悼の意も込め、ヤマニンゼファーの現役時代の戦績、種牡馬としての活躍などを振り返ることとしたい。

ヤマニンゼファーは、父・ニホンピロウイナー、母・ヤマニンポリシー(by Blushing Groom)で母の3番仔。1991年3月9日の新馬戦(中山ダ1200)でデビュー。このレースは16頭立ての12人気(単勝オッズ69.1倍)だったが、後方一気の差し切り勝ち。ここから500万下、900万下、1500万下とオープン入りまでに勝った全4勝は全てダート1200戦。オープン入りしてからの主な戦績は以下の通り。

1993年JRA最優秀4歳以上牡馬、最優秀スプリンター、最優秀父内国産馬
1着:1993安田記念(G1) 東京芝1600
1着:1992安田記念(G1) 東京芝1600
1着:1993天皇賞(秋)(G1) 東京芝2000
1着:1993京王杯スプリングC(G2) 東京芝1400
2着:1993スプリンターズS(G1) 中山芝1200(※1着サクラバクシンオー)
2着:1992スプリンターズS(G1) 中山芝1200(※1着ニシノフラワー)

1992年の初G1制覇となった安田記念は11人気(単勝オッズ35.2倍)での勝利。2つ目のG1タイトル獲得となった1993年の安田記念は逃げるマイネルヨースを2番手で終始マークし、直線抜け出す正攻法の競馬。同年の天皇賞(秋)も、ツインターボの逃げを2,3番手から追走し、早めに直線先頭に立ち、猛追するセキテイリュウオーをハナ差で競り落とす競馬で勝利。

3つのG1勝ちはいずれも1人気ではなく、父・ニホンピロウイナーのような絶対王者ではなかったが、道中、サッと前目につけて、勝負どころでしぶとく抜け出してきて、粘りこむスタイルには安定感があり、スターホース不在だった1993年の天皇賞(秋)を勝ち切ったのは、距離の融通性を示したという意味でこの馬のベストパフォーマンスだったといえよう。

1994年に種牡馬入りしてから残した産駒は554頭。463頭が出走し、勝ち馬頭数は302頭(勝ち馬率65.2%)。CPIは0.89、AEIは0.63。中央重賞勝ち馬は以下の1頭のみ。ちなみにこの馬は初年度産駒。

 サンフォードシチー(母・テイムズシチー by タイテエム)
  1着:2000武蔵野S(G3) 東京ダ1600
  2着:2000ジャパンカップダート(G1) 東京ダ2100(※1着ウイングアロー)

他に2002年のJG3-東京オータムジャンプの勝ち馬・ヒゼンホクショーも輩出しているが、総じて種牡馬としてのキャリアは華々しいものではなかったといえる。父としては1頭しか送り出せなかった中央重賞勝ち馬だが、BMSとしては以下の2頭が重賞制覇。

 ドンクール(父・ジェニュイン、母・メイショウマキバコ)
  1着:2005兵庫ChS(G2) 園田ダ1870
  1着:2006名古屋大賞典(G3) 名古屋ダ1900

 ブラウンワイルド(父・ワイルドラッシュ、母・ブラウンシャイン)
  1着:2010小倉2歳S(G3) 小倉芝1200